rappappanekoの日記 スピンオフ

「rappappanekoのらっぱ日記」番外編/闘病記

day5~day6

なにしろこの歳で、はじめての入院はじめての手術。書きたいことは山ほどあれど。


9/2

午前

母にアプリを使ってテレビ電話できた。先方はどうも扱いに不慣れであるけれども、私は誰かと繋がってる感が欲しかったから良し。

午後

レントゲン撮影のため手術後初めて病棟の外へ。急な入院で我儘ながら、パジャマじゃ無い服にこだわって良かった。パジャマじゃないリラックスウェアで、外にも行けて、私が着たい服!帰りに院内生協で買い物できたやん。カートと歩行補助がわりに車椅子借りたけど(乗らずに押すだけ)

 

ところが疲れが出たのか、夕方にパニック状態になってしまった。薬の作用と手術痕でお腹は断続的に痛むし、トイレもままならない。過呼吸と冷や汗で、動けなくなってしまった。

 

薬の微調整と食事と排泄の通常化、が課題。私の目の前にあるやるべきこと。

そこを飛び越えて、いきなりいろいろ考えを巡らせるからパニックになる。自分がこれからどうなってしまうのか、音楽は楽器は仕事はどうなるのか。家族や愛する人たちとは何が変わってしまうのか。私は、、病気になっても手術で体に傷が出来ても、これからの生活が変わってしまっても私に違いないはずなのに。

 

肉体的な痛みの作用は甚大。私みたいなへなちょこは、もう全然いけません。

食欲も無かったけれど、出していただいたものはひととおりは箸をつけ、少しでも栄養を頂くことに集中しようと努力はした。

 

寝る前の準備にまた時間がかかるのだけれど、その間はついつい涙が出てしまう。心細さと悪い方に考えるクセと。

お医者さま方も看護師さんたちも皆、プロフェッショナルで優しく冷静だ。

 

勇気づけられることもあった。遠くにいる友人が、この夏の感染増加の波の中コロナの後遺症で苦しみながら、コンサートのステージをやり遂げたとの一報!

今夜が彼女にとって重要な本番の一夜になること、無事に乗り越えられることを祈っていたけれど、それを知って、強さと優しさと機智と技術を持った彼女を、誇りに感じたし嬉しかった。

自分もそうありたいと、強く願う。

 

 

 

9/3

腸の薬の服薬コントロールを試みる。

多過ぎると痛くて戦闘意欲が萎えるし、少ないと合併症の危険が。

 

週末になって、洗濯物のやりとりを家族にお願いするタイミングでなんとか顔だけでも見られないか、と考えを巡らせる。

看護師さんが(ああプロだ…)荷物のやりとりを介する時に、私が歩いていくのに合わせて病棟への扉を開けっぱなしにしてくれた。その距離15メートル、3分間の対面だったけれど、変わらない夫の笑顔を見て、変な力が抜けた気がする。

「痛いか〜?」…痛いに決まっとろうが‼︎

 

シャンプーしてもらうとさっぱりする。

自分で清拭も着替えも出来たので、気分もさっぱり。

最大5本だった管は2本に。点滴のラインや廃液管とバッグ、傷口がまだあるので、シャワーはまだ全然先っぽい。

 

お食事はなかなか完食に至らないので、残すのが嫌いな私としては、心苦しい。

想像してたより美味しくて、味付けもバラエティに富んでいるので、食が進む。缶詰のフルーツとか付いてたら、それを目標に頑張れる。有り難い。

今はお腹の動きを感じながら、生きるために食べる、が最優先。1時間くらいかけて平均したら6〜8割は食べる。どれも必ず箸をつけて、ひと口ずつよく噛んで飲み込む。

空腹を満たすために、味覚や気分を楽しませるために、食べていた時とは違う感覚だな〜とつくづく思う。

 

 

なんだかんだ盛りだくさんで、入院してて暇で暇で…とはほど遠い。

明日は日曜日だし、少しはお休み感あるのかな。

 

 

追記

リンパ浮腫」というものについて、前から説明書きを渡されていたけれど、今日は(テレビカード付きで)DVDを観るように渡された。明後日までの宿題!

今日は概要までのみ視聴。大事なことやけど、これは何時間もぶっ続けでずっと観てられんわ!

 

私の病態が、今回の手術でどこまで解明するかはわからないけれど(今月中くらいに外来で判明する見込み)。

レベルが低くても病持ちであることに変わりはなく、寛解することはあっても全快することもなく。

どんな生活になるんやろうと思う…健康第一にはなるよな。