rappappanekoの日記 スピンオフ

「rappappanekoのらっぱ日記」番外編/闘病記

病や入院生活に関して覚え書き

これまでにブログに書いた内容と、ダブっている部分もあるかもしれないけれど、思いつくまま思い出すままに。

 

○手術の次の日には、個室回復室から自力で歩いて元の相部屋に戻ったわけなんだけれど、友人の中には2、3日は昏睡状態かも、みたいに思った人もいたみたい。現代医学はすごい、と本当に思う。

 

○手術室までは歩いて移動したし(途中は家族とも一緒だった)、手術台へも自分で登った。先ず、背中から入れる麻酔(鎮痛薬?)を入れるために横向きになって、ゴリゴリと細いチューブらしきものを入れられた。独特の感触と痛み。

仰向けになったら、いくつか眩しい丸い照明が見えて、周りで何人もの人が慌ただしく動いていて、何故かすごく可笑しくて笑えてしまったのを覚えている。

麻酔の先生に「ヘアドネーションして良かったです、長かったら邪魔ですよね〜」みたいな無駄口を叩いた後の記憶は、無い。

次の瞬間「岩本さーん!」「目が覚めましたか?終わりましたよ〜」でまた丸い照明が見えて…ドラマや映画のワンシーンそのままでした。

ベッドに移されて運ばれていく途中で、母と夫と対面したのと、「手術って寝ている間にあっという間ですね〜」などと、これまた無駄口を叩いたのを覚えている。おいおい、手術室入ってから出るまで、10時間かかってますけど!執刀医の先生は苦笑いやったやろうな。。。

 

○そう、私の本名、年齢も嫌というほど確認した。

この2ヶ月ほど、検査や診察、手術や投薬、何度も本名と年齢を自分で言うし、入院中は外れないリストバンドに名前と年齢とIDとバーコードが書いてあるし。

松原あおい トランペット (年齢非公表)は、すっかり薄まって遠くなってしまった…

ちなみですが、私は

フネさん(サザエさんの母上)

ドーラ(天空の城ラピュタに出てくる海賊の女性)

と同年代、ほぼ同年齢。

 

○入院の4、5日前に、ヘアドネーション対応のサロンを自宅の徒歩圏内に見つけて、切っておいた。ぎりぎり31cm。ウィッグを作る活動をしているNPOに自分で送るんだけど、退院してからまだやっていない。

入院手術もだけど、ショートカットにして大正解!今、シャワーがものすごい楽できてます。

 

○女性としては、子宮と卵巣卵管を全て取り去った状態なので、強制的に閉経を迎えたわけです。術後1週間後から更年期障害諸症状の予防、緩和のために、ホルモン補充療法として、エストロゲンのパッチを貼っています。おへそより下の腹部または臀部に貼って、2日間で新しいものと取り替えるタイプ。

臀部(お尻)に貼ると見えないし、剥がれたりしてもわからない、ということで、お腹の傷口のない部分に、場所を替えながら貼ってます。

今のところ、効果の有る無しはよくわかっていない。

 

○手術直後の個室での時間は忘れられない。

背中のチューブに繋がっている、自分で押すボタンみたいなのがあって、痛み止めを必要なタイミングで追加することができる。ってすごいシステム。(押し過ぎを防ぐために、一度押すと一定時間は追加できないようにできているそうな)

まあ、1時間ごとくらいに見回りに来てくれはるので、ほとんど寝てない感じ。まあ10時間も寝た後だから…

両脚につけたマッサージ機の空気圧が規則的に「プシュー」と音を立てるので、その度に気になるというのもあるけど。ちなみに、圧がかかるのは片足ずつ交互に、つま先から太ももの方向へ順に、です。よく出来てる。

真っ暗が苦手と言うと、間接照明で電気スタンドみたいなのも点けてくれはった。

とにかく、手足が動くことを何度も確かめて、「生きてる」「死んでない」を呟いた夜だった。

水が飲みたくて、ひたすら次の日を待っていた。

救急車がひっきりなしに出入りしているのも、一晩中よく聞こえた。

 

○主治医の先生の下に、サブ的についてくれてる先生もいて、私はたまたまお二人とも女性の医師だった。

特に主治医の先生は、説明も全て分かりやすくきちんと話してもらえて、今回私が手術そのものを怖いとかあまり感じなかったのは、もう絶対的にこの先生のおかげとつくづく思う。

何より、最初に10月かもと言われた手術を8月中に受けられたこと、それに間に合うように全ての必要な検査を予約してもらえたこと、もうパズルのように完璧な組み方だった。

私も仕事を区切りまで全うして、それ以降全面的にストップして、スケジュールを全て病院に振り替えて臨んだことが良かった。

 

○看護師さん皆さん、プロ中のプロ。優しくて頼れる。大学の附属病院なので、おそらく若手からベテランまでたくさんいらっしゃるけれど、本当に全てにいき渡ってお世話していただいた。

そして、出来ることは自分でやる、を徹底してもらえたのも本当に良かった。そうでなければ、ここまでの短期間でのある程度の回復は、とても出来ない。

褒め上手、動かし上手。見習いたい。

 

○夫と母は、私がまだ麻酔から覚めてない間に、摘出した臓器を見ながらの手術の経緯の説明を聞いたそう。

母はさすがにまともに見ることは出来なかったと言っていた。夫はただただ、主治医の先生のタフさとプロフェッショナルさに、脱帽と感謝だったと。

 

○次の外来予約は、術後約4週間後。私も全てを見せてもらった上で、生検(組織検査)の結果をもとに、病名とステージ進行レベルをきちんと聞かねばならない。

病巣は全て切除して、患部と周りの顕著な癒着もほぼ無かった(一部分手こずった箇所はあったという話)、目に見える播種も認められなかった、と聞いてます。全ての検査結果を統合しても、転移性は認められないという所見。

おそらく定期的な経過観察の範囲で済む、と思われる。

 

抗がん剤治療の可能性について、事前の主治医の説明では、「手術前に今でわかる範囲では、おそらく卵巣がんのステージ1、それも進行が進んでいないレベルのものの可能性が大きい。」

そして「学会でもこのレベルでの抗がん剤治療の効果は低くて、副作用の方が大きくQOL(生活の質)を下げてしまうとされていることもあり、うちの病院ではこの段階では(抗がん剤)やらないことがほとんどです。」「ひょっとしてネット検索なんかで、別の病院ではこの状態でも抗がん剤やっているところもあるとか、ご存知かもしれません。ご希望されるなら、対応を考えます」的なことでした。

 

○実は今回私は、自分の病気についてネット検索かけるとか全く発想に無かったので、先生に言われてから「ああそうか、そういう調べ方する人もそりゃいるよな〜」とぼんやり思ってた。

すでに書いたけれども、今回は短期間に怒涛の展開過ぎて、自分のメンタル面を保つこと、仕事の休業のやりくりをすること、検査通院のスケジュールを把握すること、などでいっぱいいっぱいで、ネット検索など全く思いつきもしなかった…マジで。

それにやはりこれも書いたけれど、地元の総合病院の先生「卵巣がんですね(あっさり)」、紹介先の教授の先生(最初に対面2分間きり)「ご家族来てないんですね…卵巣腫瘍なので手術で切除しましょう(きっぱり)」、そして主治医の先生の説明も全くブレずに、一刻も早い手術へまっしぐら!だったので、私自身の中でも“そういうもん”としてブレずに進んでいる。

今どきの病院は、セカンドオピニオンのご相談もお気軽にどうぞ、てな感じだけれども、今のところ私は全くその必要性を感じていないので、未だにネット検索含めて調べることは一切していない。

 

○手術に伴う各種検査も「通院の都合で、地元の総合病院でご自分で受けていただいてもいいですよ」と柔軟な対応。

私は、急いでいることもあり、実家を頼って通院できることもあり、検査オーダー自体をこの大学病院のシステムに乗せてしまう方が楽だったので、全面的にお任せした。

結局はその方が、各科での情報共有も瞬時で出来ていて、メリットの方が断然に多かったと思う。

 

○全体的に、「白い巨塔」みたいな昭和の医療体制、遠くなりにけり…(古い…)。

医者と看護師だけでなく、いろんな種類のプロフェッショナルが対等に連携して、ミスを減らすシステム上の工夫も多いし、マンパワーもメンタル面も行き届いている印象です。

 

○術前にPET CTスキャンで見つかった、卵巣部分の腫瘍以外の唯一の箇所が、十二指腸にあったんだけれども。大腸カメラ胃カメラの結果、消化管内には、見える腫瘍は無し。

胃の方は「きれいですね〜ピロリ菌もいないし。十二指腸を見るように言われてますので、ちょっと奥まで入りますね…」(私:○△◇っ!?)「ああ、大丈夫ですね、キレイです。きっと(反応していたのは)外側ですね」

ピロリ菌ってそもそも目で見えるの?!まあ、“巣”みたいなのが有るか無いか、なのでしょうけど。

その後最終的に造影剤CTもして、十二指腸の外側の“何か”は、リンパ節の大きめのものが反応しているのだろう、という判断になったそう。なので今回の手術のチームには、消化器科からの専門医の参加は無しとなったと聞きました。

ここが今後、どう出るか、ですね。何事もなければいいのだけど。